今日のコラム

☆ 9月3日はホームラン記念日

お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


9月3日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

お得意を広げるには

 自分の店のお得意さんが、他の人に「自分はいつもあの店で買うのだが非常に親切だ。サービスも行き届いているので感心している」と話されたとしたら、その人も「君がそう言うのなら間違いないだろう。私もその店に行ってみよう」ということになりましょう。その結果、お店としては、みずから求めずして、お得意さんを一人増やす道が開けるということになるわけです。

 そうしたことを考えてみますと、日ごろ商売をしていく上で、お得意さんを増やす努力を重ねることはもちろん大切ですが、現在のお得意さんを大事に守っていくことも、それに劣らず大切なことではないかと思うのです。

 

【コラム】筆洗

2014年9月2日 東京新聞TOKYOWeb

軟式野球の発祥国は日本で一九一八(大正七)年というから百年近い歴史がある。危険の少ないスポンジボールを小学生の試合に用いたのが最初と聞く。軟式野球を考えた方は子どもに優しい方だったに違いない

▼コルクを糸で固く巻き、革で包んだ硬球を握れば、子どもはもちろん、大人でさえ「こんなおっかないものを投げ、打つのか」とひるむものだ

▼ゴム製で空洞の軟球も体に当たれば痛いが、硬球の恐怖はない。安心で安価な軟球が存在しなければ、日本にこれほど野球は広がらなかっただろう

▼最近の軟球にはかつての凹凸がない。ちょっと寂しいが、ゴムのにおいに夕焼け空や、軟球が消えた草むら、町内の強打者を思い出すものだ。軟球の空洞の中に詰まっているのは、子ども時代の思い出か

▼全国高校軟式野球準決勝の中京-崇徳戦は中京が延長五十回の死闘を制した。中京の主戦投手は大会を通じ千四十七球を投げた。残酷という指摘もあるが、まずは空前絶後の試合を戦い抜いた両校選手をたたえたい。あの試合は負担の大きい硬球では困難で日本独自の人に優しい、軟式野球だから可能だったともいえる

▼ずらりと並んだゼロが子どものいたずら描きのようにも見える。選手たちの祈りかもしれない。いつまでも続けていたい。青春期を終わらせたくない。あの日に戻れぬ大人はそれを泣きながら見る。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

盲導犬の虐待 人への献身裏切る卑劣

2014年9月2日

 埼玉県で全盲の人を誘導していた盲導犬が刺された事件には強い憤りを覚える。人間への献身を裏切る卑劣さだ。警察の徹底捜査はもちろん、社会的に弱い人々への周りの気配りをもっと望みたい。

 七月下旬の事件だ。さいたま市の目の見えない男性が通勤のために連れていたラブラドルレトリバーの盲導犬「オスカー」が腰の辺りを刺され、けがをした。

 先端が鋭利なフォークのような物を突き立てられたらしい。丸い小さな傷口が等間隔で横一列に並んでいた。オスカーが着ていたシャツに穴はなく、めくり上げて刺した疑いが濃い。

 難病の網膜色素変性症を患って失明した男性は、七年前からオスカーと二人三脚で苦楽を共にしてきた。使用者にとって、盲導犬は大切な命綱であり、人生の伴侶であり、最愛の家族である。

 「オスカーは私の体の一部。私が刺されたのと同じことだ」。男性はそう心境を打ち明けた。やり場のない怒りや悲しみを社会全体で重く受け止め、再発を許さないよう見守る力を高めたい。

 オスカーは襲われてもほえなかった。出血に気づいたのは職場の同僚だ。盲導犬は危険を伝える場合などを除き、使用者を混乱させないようむやみに鳴かない。

 痛みを我慢する訓練を強いられているというのは誤解だ。驚いて声を出せなかったのかもしれない。人間から愛情をたっぷりと注がれて育ち、よもや攻撃されるとは思っていなかったに違いない。

 事件はその信頼を損ねる蛮行というほかない。警察は反響の大きさを踏まえ、動物の虐待や遺棄を禁じている動物愛護法より刑罰の重い器物損壊容疑で調べている。

 盲導犬の使命は、家畜やペットとは異なる。男性が「オスカーは物ではなく私の目」と語るように、盲導犬の死傷は使用者の生命さえ脅かす。同じ刑法の中でも、人間への傷害や殺人未遂に匹敵する重大犯罪ではないか。

 盲導犬の歴史は古い。西暦七九年に火山の噴火で灰に埋もれた古代都市ポンペイの遺跡からは、視覚障害者らしい人が犬と歩く姿を描いた壁画が見つかっているという。人間社会にとって古来、犬は欠かせない存在なのだ。

 耳の不自由な人に重要な音を知らせる聴導犬、手足の動かない人の暮らしを支える介助犬、麻薬や爆発物の探知犬、警察犬、災害救助犬、狩猟犬、癒やしをくれるペット。愛情には愛情で報いる。現代人が見習うべき点ではないか。


☆ 今朝は晴です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように ☆