今日のコラム

☆6月12日 バザー記念日
お早うございます、今日もお立ち寄り有難う御座います☆


6月12日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

公明正大

 後漢の時代に、高潔をうたわれた楊震という政治家がいた。この人がある地方の太守として赴任していったところ、たまたま以前に引き立ててやった王密という人が夜分に訪ねてきて、大枚の黄金を揚震に贈ろうとした。楊震が受けとるのを断わると、王密は「こんな夜中で、この部屋には私たち二人しか居ないのですから、誰にもわかりませんょ」と言った。そのときに揚震は「誰も知らないと言うが、君と私自身が知っているではないか」こう言ったという。

 他人が知っているということよりも、まずみずからの心に問うて、やましいところがないか、公明正大であるかということが大切だと思うのである。


【コラム】筆洗

2014年6月11日東京新聞TOKYOWeb

麦秋は秋ではなく、麦が実った初夏の今時分を指す。秋、あきという言葉には本来、収穫期との意味があるという

小津安二郎監督の「麦秋」(一九五一年)。家族の別離を描いた映画のラストシーンは六月の麦畑だった。娘が遠方に嫁ぎ、大家族が離れて暮らすことになった寂しさ。その一方で親としてひと仕事を終えたという安堵(あんど)の気持ちもある。だから収穫期の「麦秋」なのだろう。「紀子、どうしているでしょう」「…みんな、はなればなれになっちゃったけど…しかしまあ、あたしたちはいい方だよ…」

▼「麦秋」の冒頭は賑(にぎ)やかな家族の朝食の場面である。六歳の男の子が顔を洗わずにちゃぶ台に着いて叔母(原節子)に叱られる場面が楽しい

▼二〇一三年度版の食育白書によると朝食を家族で食べるという人の割合が五割を切った。夕食でさえ56%と過去最低である

▼政府は「家族の生活様式の変化」と分析するが、事態はもっと深刻かもしれぬ。ただでさえ「少人数」になった家族が食事を共にしない。それは家族で話をしないということでもあろう。団欒(だんらん)、団居(まどい)が失われた時に人はどこで心の澱(おり)を洗うのか

▼大家族から核家族、現在では独居へ時代は歩みを進める。昭和の大家族を懐かしんでも仕方がないが、家族でメシを食わぬのが「現在」なら、戦後以降、日本人は何を収穫するため頑張ってきたのだろう。


☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆