今日のコラム

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4月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

困難から力が生まれる

 人間というものは恵まれた順境が続けば、どうしても知らず識らずのうちにそれに馴れて、安易になりやすい。昔から“治に居て乱を忘れず”ということが言われ、それはきわめて大切な心構えであるけれども、そういうことがほんとうに百%できる人はおそらくいない。やはりどんな立派な人でも無事泰平な状態が続けば、つい安易になる。安心感が生じ、進歩がとまってしまう。

 それが、困難に出会い、逆境に陥ると、そこで目覚める。気持を引き締めて事に当たる。そこから、順調なときに出なかったような知恵が湧き、考えつかなかったことを考えつく。画期的な進歩、革新もはじめて生まれてくる。


【コラム】筆洗

2014年4月29日東京新聞TOKYOWeb
 
▼鰊群来(にしんくき)。晩春の北海道西部にはかつてニシンが大群となって押し寄せた。海面が乳白色に見えたという。ニシン漁は明治末から大正期に隆盛を極め、地域に富をもたらした

▼<鰊群来今なし残る浪(なみ)と唄 福田蓼汀(りょうてい)>。回遊路の変化か乱獲か、戦後、ニシンは姿を消す。漁は廃れた。北原ミレイさんの「石狩挽歌」(作詞・なかにし礼さん)。ニシン御殿も<今じゃさびれてオンボロロ>。幼年期を小樽で過ごした、なかにしさんが見た光景という

▼歌の中に<沖を通るは笠戸(かさと)丸>とある。奇妙な運命をたどった船である。元は一九〇〇(明治三十三)年、英国で建造された。ロシア義勇軍に売られ、日露戦争で戦ったが、日本に奪われた

▼その名が残るのは初のブラジル移民船だったからである。〇八(明治四十一)年四月二十八日。移民七百八十一人を乗せて神戸を出港した。夢と不安を積んだ船は、苦労したブラジル移民と日系人にとってのシンボルだったという

▼船の数奇な運命は続く。客船や病院船、蟹(かに)工船などに使用され、最後は四五年カムチャツカに沈む。旧ソ連の攻撃で撃沈された

▼歴史の波間に浮かび、消えたニシン漁、ブラジル移民、「笠戸丸」。そして現在。深刻な人口減に悩む日本に移民の是非が議論される。ニシンは戻らないが、移民の方は再び歴史の波頭に姿を見せる。今度は受け入れる側としてである。


【私説・論説室から】東京新聞TOKYOWeb

東京の海をより身近に

2014年4月28日
 
 超高層の霞が関ビル、その上層階の会社を取材で訪れた。澄みきった好天の午後でガラス越しの光景に心を奪われた。眼下に広がるビル群の向こうに輝いていたのは青い海。

 三十年も前のことだが、あの海の青さが忘れられない。東京で育ったが、あの時まで東京で海を見た記憶がなかったから。

 物心ついた一九六〇年代、東京の海岸線は工場や造船所、倉庫で埋め尽くされていた。晴海通りで銀座を抜け、勝鬨橋を渡ると、その先は港湾エリアで人を寄せ付けなかった。

 少し離れた「夢の島」には第五福竜丸の展示館がある。行かれたことはあるだろうか。

 「夢の島」は私の世代には「ごみの島」のイメージと重なる。都内のごみ処理が集中していた江東区が杉並区のごみ受け入れ阻止に動いた「ゴミ戦争」があったのは七二年だった。その「夢の島」が、戦後間もない四七年にオープンした東京では最後の海水浴場の名前だと知ったのは最近のことだ。

 東京の海が身近になったのはレインボーブリッジが開通し、お台場に人工ビーチができた九〇年代になってからだ。開放、自由、自然、生命、畏怖…海は目の前にしただけで日々の雑念から人を解き放つ力がある。インフラの老朽化、震災対策、高齢化など東京は多くの課題を抱えているが、「湾岸で開かれる五輪」という東京に海を取り戻す好機を逃さないでほしい。 (安田英昭)

4月30日を図書館記念日

☆ 今日も皆さまにとって良い一日でありますように ☆